2015年1月2日金曜日

見つめてくれる人

見つめていてほしい 150102

2015/01/02 11:12
フィギュアスケートの練習に来る子どもたちには、たいてい母親が付き添ってきます。自宅と練習場の送り迎えのためです。練習場まで子どもを送ってきた母親たちは、送った後に帰ることはありません。子どもの練習が終わるまで、練習場で待っています。

こういった風景を見た当初は、親も大変だな、と感じるだけでした。ところが、子どもの練習が終わるまでじっと待っている母親の多くが、練習する我が子をじっと見つめていることに気づいてから考えが変わりました。子どもは母親から見つめられていることが大事なんだ、と。

<ある日私はAMラジオを聞いていた。こんな唄が流れていた。「ああ、戸口に立っているお母さんにすごく会いたい」 そうよ!と私は言った。私にはその唄が理解できる。私もよくそう思ったものだ。戸口に立っているお母さんに会いたいと。実際にしばしば、私の母はいろんな種類の戸口に立って私のことを見ていた。>(「超短編小説70」 文春文庫 2009年 p.27)

子どもだけではない、大人だって、愛する人、信頼できる人、頼りになる人から見つめられていたい。見つめられる人がいる人は幸せなんだ、ということでしょう。そこには口から発せられる言葉は必要ありません。じっと見つけてくれている人が存在しているだけでいいのです。その存在は実在でなくてもよいはずです。その人の心の中にある見つめてくれる人の存在だってよいのです。

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