2018年5月30日水曜日

三浦雄一郎式運動法

▶プロスキーヤーで登山家の三浦雄一郎さん(85歳)は、普段、片足2キロの重量の靴を履いて生活しています。しかも、出かけるときは15~25キロの荷物を背負います。そんな恰好で近くの神社や公園、ときには渋谷の繁華街をゆっくり1時間ほど歩いているのです。(日経ビジネス ONLINE 2017.8.23)
▶私も、三浦さんのように片足に2キロの重量物(アンクルウェイト)を取り付けて、手には本などを詰め込んだ15キロのカバンを持って歩いています。ただし、歩く場所は自宅の中です。自宅の中だけでも一日に数千歩は歩きます。こういった自宅内での移動の時を利用して、脚力の衰えを防ぐことにしているのです。
▶三浦さんは述べています。「普段の生活の中で体に負荷をかけることを意識している」。健康や体力の維持増進のための運動は、普段の生活動作に負荷運動を加えることで十分な気がします。オリンピック選手になるために運動するのではないからです。


2018年5月12日土曜日

例外は例外である

何事にも例外がある。

多くの人は七十歳代から八十歳代で亡くなる。ところが、百歳を優に超えても元気な老人がいる。こういった人は例外ととらえるのがよいと思う。遺伝や環境などさまざまな好条件がそろい、しかも食事、睡眠、運動などに取り組む本人の努力が重なった結果、健康に長寿を過ごせているのだろう。

遺伝や環境などの好条件がすべての人たちに備わっているとは考えられない。さらに、日々の生活を健康的に過ごすことを習慣にすることもたいていの人にとっては難しい。ほとんどの人は例外となる条件を有していない。そういった人たちが例外の人を理想像ととらえるのは良いだろうが、例外になろうという願いは思いとどまるべきだと考える。

例外の老人たちはあこがれとして心にとどめ、平均的な人たちはそれぞれの条件に見合った方法で、それぞれに与えられた寿命を全うするように努めるのがよいのではないか。

統計学について考えているとき、ふとこんなことを思った。

2018年5月7日月曜日

老いと目のつけどころ

七十歳を越え、感じることの一つは、「老いるにつれて目のつけどころが大事」ということである。

老いてくると「できること」よりも「できないこと」に目が行きやすい。「残されたもの」より「失われたもの」に目が行きやすい。こういった目のつけどころで生きていくと、きっと苦しさが増すと思う。それよりも、自然の流れに向きになって逆らわないで「できること」「残されたもの」に目を向け、そのことを大切に活用する方が楽しく楽に生きられるような気がする。