2014年5月29日木曜日

男性であることが危険因子

『運動と動脈硬化の疫学』という論文(1)に、「最近の日本人大規模疫学研究の一つであるMEGAスタディでは、冠動脈疾患の危険因子として、男性、高齢、喫煙、低HDLコレステロール、高コレステロール、高血圧、高血糖を上げている。」ことが紹介されていた。

冠動脈疾患とは、心臓に酸素や栄養を供給する冠動脈の血液の流れが悪くなることで起こる病気である。血液の流れが悪くなるのは、冠動脈の内側の壁にコレステロールなどが沈着して、血管が狭まるからである。

冠動脈疾患は、心臓に酸素や栄養を十分に供給することを妨げ、狭心症や心筋梗塞を起こしてしまうこともある。冠動脈疾患は、命に関わるこわい病気である。

このこわい病気の危険因子の1つが「男性」なのである。男性は、女性以上に、運動、食事、睡眠に十分に注意を払うことが大事なのだと知った。

(1)児玉暁、曽根博仁:『運動と動脈硬化の疫学』、臨床スポーツ医学 vol.28, No.12, 2011, pp.1311-1316。

2014年5月27日火曜日

老子が教える実践 

ウェイン・W・ダイアー
老子が教える実践 (タオ)の哲学 PHP 2012.03.29 第1

この本から、次のような言葉に出会った。


Change Your Thoughts Change Your Life (p3)

▼欲があると、形と名を持つものしか見えない。(p19)

▼「こうなるといい」とは、半ば自分が勝手に思い描いた理想、現実とは別物です。(p20)

▼肩書や学位を始めとする識別用のラベルは、自分という人間の真実を表してはくれません。(p21)

▼成し遂げたら、忘れる。だからこそ、成果は永続する。(p23)

▼人には、自分に見える世界しか見えない。(p24)

▼今要るものは全部ここにある。(p32)

▼公平な心でいれば気分が解放され、何が起ころうと大らかに構えていられる。(p38)

▼人生行路を歩みながら、できるだけ他者に先を譲りましょう。(p46)

▼流れに逆らわない。遅れず早まらず、「今」に寄り添い、常に自らの務めを誤らない。(p49)

▼他者を上から見下ろすようなまねをしないこと。誰も同じ位置にいます。(p50)

▼やめるときを知るのが知恵。(p53)

▼やることをやったら、下がりなさい。(p54)

▼控えることを覚えましょう。(p54)

▼「努める」のではなく「任せる」 (p62)

▼来るは拒まず、行くは追わず (p65)

▼地位は、人を苦悩に追いやる。(p69)

▼好かれたい者は卑屈になる。(p69)

▼どれほど濁った水も静まれば澄む。(p77)

▼追いかけるのではなく、やって来るのを待ちなさい。夢は、最適なタイミングで、完璧な順に実現していきます。(p78)

▼人生のでしゃばりな演出家になるのではなく、観察者に徹し、手渡されるものを素直に受け取りましょう。(p78)

▼最高に指導者は寡黙、不用意に言葉をまき散らさない。(p85)

▼あなたの生活を規制するのは、法律ではありません。(p90)

▼「今ここにないもの」については考えないこと。(p98)

▼要るものはすべて、今ここに用意されているではありませんか。(p98)

▼今ここにない物や、今ここにいない自分を求めて頑張るのをやめましょう。(p98)

▼「今」に集中する(p100)

▼他の人を説得して、あなたの視点の正しさをわかってもらおうとは思わないこと。(p103)

▼あなたと反対の意見を持つ人の言葉に耳を傾けましょう。(p108)

▼善を尽くすうちに人は、善と一つになる。(p109)

▼ものごとが、在るがままに在ることを喜ぶ (p111)

▼爪先立ちでは、立ち続けられない。大股歩きでは、遠くまで行かれまい。(p113)

▼自慢から実績は生まれない。(p113)

▼あなたの体のあらゆる部分に「ありがとう」と伝えましょう。(p114)

▼真の知恵を持つ者は進むときに跡を残さない。(p125)

▼計画は最小限に留めましょう。(p126)

▼形なきものに形を与えると、生のままの天声が失われる。(p129)

▼動くときがあれば、休むときがある。力漲るときもあれば、疲れるときもある。(p133)

▼批判しない。指揮しない。(p134)

▼わたしなら、そんなにせっせと植木の世話をしない。四六時中、手をかけていたら、だめになってしまう。(p136)

▼力ずくで造りあげたものは、すぐ壊れる。(p139)

▼決して、激しい言葉を使わないこと(p140)

▼力ずくで解決したくなったら、すぐさま聞き役にまわりましょう。言葉をのみこみ、口を閉じる。しばらくは返事をいっさい控えます。(p140)

▼自分が使う言葉に注意し、あなたの語彙から憎しみを消去するのです。(p144)

▼わざと「計画」や「予定」を忘れる時間を作りましょう。(p149)

▼行き先や道順は考えず、ぶらりと散歩に出てください。ただ足の向くままに歩き、目に写るままの景色を眺めるのです。(p149)

▼大切なのは、相手を非難しないのはもちろん、理解しようとも望まないことです。焦点は、あくまで自己理解。心の主導権は自分が握り、誰に対しても何に対しても、自分の素直な気持ちで対応する。(p152)

▼人を思い通りに動かそうとしないこと。自分で選択が充分できる人を相手に、行動の指示を出してはいけません。たとえば、家族といえども、あなたの所有物ではありません。(p156)

▼惜しみなく与えるが、豊かさを自慢しない。他者を育てるのに力を尽くすが、それを認められたり誉められたりする場面には顔を出さない。(p157)

▼いわゆる世俗的な楽しみは度を越しやすく、肉体の限界を超えようとします。(p160)

▼勝つな、競うな、秀でるな (p164)

▼極力、注意を引かないこと。注目を浴びようと自ら前に出るなど、もってのほか。ひたすら、譲って、譲って、譲りなさい。(p165)

▼華々しい活躍は他者に任せ、あなたは、その力や人気を誉める側に回ればいいのです。(p165)

▼力を伸ばしたい者の邪魔にならないよう、進んで身を退きましょう。(p165)

▼主語を「私」から「あなた」に変えてごらんなさい。(p165)

▼他者より優れていなくてもいい。競い合って勝たなくてもいい。(p168)

▼命令という強制力より認容という包容力によって、真の能力を発揮できるのです。(p169)

▼賢者は、何もしないが、何もやり残さない。凡人は、常に何かを行いながら、未完の仕事を増やすばかり。(p171)

▼人が決めた善とは、「悪」を行わないで生きるための規範です。(p172)

▼人が作った物差しなんか要らない。(p172)

▼高貴な者は謙虚になり、己を孤独なつまらぬ者とみなす。(p175)

▼戻りなさい、譲りなさい。(p180)

▼こつこつ地道に努めなさい。(p184)

▼迷いや理詰めで追求したくなる衝動には目もくれず、ただ根気よく一心に(タオ)に従い続ければいいのです。(p184)

▼ひたすら知恵を実践に移すのみ。(p184)

▼所有しているものに執着するのを止めるのです。(p189)

▼得ることは失うことより苦を招く。(p195)

▼足るを知る者は、失望を知らない。止めるときを知る者は、危機に陥らない。(p195)

▼何よりも、自分の生命(本質)を優先すること。それを、最大最重要の義務と考えましょう。(p196)

▼これ以上要求しない、追いかけない、話さない、歩かない、働かない、眠らない、遊ばない、買わない、文句を言わない、努力しない・・・。(p196)

▼潮時を知る(p196)

▼何かを手放すことで、執着を断つこともできます。(p197)

▼欠点と見えるものの裏に、完璧さを見てください。(p200)

▼減らして減らして、最後はゼロ。何もしなければ、何もやり残すことはない。(p211)

▼人生は引き算が大切、日々「自分」を減らしなさい。(p212)

▼聖人は、頑なな信念を持たない。だから、他者の必要を身落とさない。(p215)

▼分けない、断じない (p216)

▼どんな環境の中でも、一つの立場に固執することはやめましょう。(p216)

▼小さなものに目を凝らすことを明晰と呼び、しなやかな心を持つことを強さと呼ぶ。(p227)

▼凡庸なもの、劣ったもんも、不必要なものなど、何一つ見つかりません。8p229)

▼延々と言葉を並べたところで、決してうまくいきません。(p244)

▼相手を説得するために話すのは、実は、自分の正しさを伝えることが主眼、話の内容が相手のものかどうかなんて二の次。だから、相手を説得しようとするより、何も言わないこと(p244)

▼求められないアドバイスはしないこと(p245)

▼アドバイスだの自分の経験談だの、あなたが話すよりも、相手に質問をするのです。そして、お互いの会話の流れに、ただ耳を澄ませましょう。(p246)

▼方を作りすぎるから、悪事は、ますます世にはびこる。(p247)

▼人は素のまま人となる。(p247)
K 素人が究極の姿?

▼権威を棄て、「素のまま」生きる(p248)

▼不幸には幸福が寄り添い、幸福の背後には不幸が潜む。(251)

▼賢人は範を示すのみ、己の意志を押しつけない。(p251)

▼かつての若さは今の年齢を創る要素の一つであり、老いていくのは肉体のさまざまな変化を経て自分を完成させていくための一段階だとわかるでしょう。(p252)

▼身を屈めて勝ち、低きに徹して勝つ (p263)

▼謙遜や沈黙が力、身を屈めて姿を隠すことが強さ(p264)

▼悪者を捨てるではなく、悪者の悪を捨てなさい。(p267)

▼複雑の中に単純を見つけ、小事を見事に成し遂げる。(p271)

▼大きな成果は、「大きな考え」から生まれるのではなく、「小さな考え」を積み重ねた結果なのです。(p273)

▼小さなことに着手すると、やがて大きな成果が生まれます。小さく考え、小さく行う。それが、結局は大きな成果につながるのです。(p273)

▼失敗は、最後の一歩に潜むもの。最初と同じく、最後も用心。そうすれば失敗は起こらない。(p275)

▼到着した目的地は、新しい旅への出発点でしかありません。(p276)

▼その難行を達成できたのは、「とりあえず今日一日」をずっと実行してきたからです。(p276)

▼「答はわかっている」と思い込む者を導くのは難しい。「わからない」とわかっている者は自ら道を見つけだす。(p279)

▼巧まずに素朴に生きる(p280)

▼あなたのやり方や考え方を、他者に強制してはいけません。(p280)

▼生きるのは、競争ではありません。だから、誰かを負かしたり、自分を何かと比べる必要もありません。(p288)

▼優れた勝者は、競わない。(p291)

▼競争相手に対する概念を変えましょう。次に対戦するときは、相手を自分の延長だと考えてください。(p293)

▼心の中で、対戦相手に愛を送り、相手が最高のパフォーマンスができるように、祝福の光で包んであげましょう。すると、あなた自身の技も向上し、一段と高いパフォーマンスができるようになるはずです。(p294)

▼相手を攻撃するより、防御に回るべし。一寸進むより、一尺退くべし。(p295)

▼仕事の競争相手も、スポーツの試合の対戦相手も、対立する政党の党員も、あなたの敵ではありません。(p296)

▼敵を持たない者が確実に勝つ(p296)

▼今の体で生きる今の人生を、全力で好きになりなさい。(p308)

▼たわむという強さ(p324)

▼「薄き」を補う者になりなさい。(p328)


2014年5月22日木曜日

トレーニングの特異性

トレーニングは、鍛えた部分に効果が現れる。たとえば、筋トレで脚筋を鍛えれば脚筋は強化される。しかし、トレーニングしていない腕の筋肉は強化されない。逆に、腕の筋肉をトレーニングすれば、腕の筋肉は強化されるが脚筋は強化されない。

このように、鍛えた部分だけにトレーニング効果が現れることをトレーニングの「特異性」という。

私たちの体は、1つの部分を鍛えれば、その効果が別の部分にも波及する、といった都合よくはできていないのである。スポーツ競技で利用される筋肉のそれぞれを鍛えなければならない。スポーツ選手のトレーニングが長時間を要するのは、このためである。

ただし、「トレーニング効果の転移」という現象が体内に起きることが知られている。たとえば右側の脚筋だけを鍛えると、その効果は反対側の脚筋にも現れることがある。このように、一部のトレーニング効果が別の部分にも出現することを「トレーニング効果の転移」という。

しかし、トレーニングしない側に現れる効果は、トレーニングした側に比べて小さい。骨折などで一方の腕なり足なりをトレーニングできない場合、健常側の腕や足をトレーニングすれば、けがをした側の筋力低下をある程度予防できることは期待できる。トレーニング下側と同等の効果は期待できそうもない。

全身の筋肉を強化するためには、結局、それぞれの筋肉をトレーニングしなければならない、ということのようだ。


2014年5月20日火曜日

Body Dimensions

深代千之著『日本人は100メートル9秒台で走れるか』(祥伝社、2014年、初版第1刷)を読み始めた。

面白い。何が面白いかというと、100メートル疾走を話題の中心に置いて、人間が最高の運動能力を発揮するための条件をスポーツ科学、特にバイオメカニクスの知識を利用して、謎解きのように説明していることである。取り上げた条件がなぜたいせつなのかを、ていねいに解き明かしている。ありふれた言葉であるが、まさに推理小説のようである。

ところで、この本のなかに次のような記述があった。

<スプリンターは、単純に「大きいほうが有利」とは言えません。これは同じ体形で身長が高くなったとすると、筋力は身長の二乗に比例する横断面積の分だけ増加しますが、体重は身長の三乗に比例する体積分が増加するという「スケール効果」があって、筋力が追いつかなくなるからです。」(同掲書、p.26)。

身長が高くなると筋力は増加するが、それ以上に体重が増加するために、結果として速く走れないことになる。

この一文を読んだとき、40年ほど前に読んだPer-Olof Astrand著 Textbook of Work Physiologyのことを思い出した。

この本の第7章は、"Body Dimensions And Muscular Work"について述べている。身長を1とした場合、体力は身長の何倍に相当するかを述べている。

疾走時のストライドの長さは身長に比例する。
筋力、筋の断面積は身長の2乗に比例する。
体重、血液量、ヘモグロビン量、心臓の容積などは身長の3乗に比例する。

この部分に出会ったとき、私は大変な関心を持ち、熱心に読んだ記憶が蘇る。当時、こんな計算をしたことを思い出した。

身長が160cmから5cm伸びて165cmになったら、大腿部の太さは何倍になるか。


大腿の太さは(165÷160)=1.03倍になった。

面積は身長の2乗に比例するので、

大腿部の太さ=1.03の2乗=1.06倍となる。


身長が伸びれば、その伸び率よりも大きな伸び率で大腿部は太くなる、ということである。

身長を基準に物事を考えるBody Dimensionは、今でも私の関心を引く。

2014年5月18日日曜日

オーバーロードの原理

運動を負荷に体力などを高めるときに守るのがよい原理の1つは「オーバーロードの原理」である。「過負荷の原理」ともいう。

現在の体力をより高めるには、すでに持っている体力を刺激できるだけの負荷を体に与えなければならない。負荷が軽すぎると、体力を高める効果は現れない。強めの負荷が必要なのである。

ここで考えなければならないことは、どの程度の強めの負荷が必要かということである。これが分からないと、「強いほどよい」と考えがちになる。結果、体を痛めることになり、体力向上の効果は生み出せない。

「日常活動強度を越えるレベル」(加藤智巳編著 『実践に生かすスポーツ教養(第2版)』 東京電機大学出版局 2009年 p.38)の負荷が妥当だというのが、一般的な解釈である。

これをスポーツ選手に当てはめれば、「日常活動強度」とは試合や練習などで体に加わる負荷強度ととらえることができると考える。もちろん、一般の人なら、日々の生活で行われる日常活動を越える強度ということになる。ところが、スポーツ選手の場合のトレーニングは、あくまで試合や練習を遂行することが日常活動ととらえるのが妥当である。

ここで、さらに問題が生じる。試合や練習中の強度を測ることが厄介だということである。私は、かつて、この問題を解決するための予備研究を行ったことがある。

大学女子ソフトボール選手1名にお願いし、試合中の筋活動レベルを測定させていただいた。測定した筋は大腿の内転筋である。その結果、試合中の筋活動レベルは最大でも全力の50%ほどであった。


この結果から判断すれば、トレーニング効果を生み出す最低強度は全力の50%を少し上回る程度でもよいということが考えられる。

トレーニングは、安全かつ効果的に行わなければならない。そのことを考慮すると、「強度は強いほどよい」という考えを素直に受け入れられない。私は、できる限り強度は軽めを採用するのがよい、という立場である。異論の方も多いだろう。

今後も、試合中や練習中に選手が発揮している体力レベルを測定する方法について研究を進めたいと考えている。

2014年5月16日金曜日

後追い研究

バイオメカニクスと生理学と解剖学の知識を主に利用して、一流スポーツ選手たちの体力と技術を解き明かすことが、私の主要な研究課題である。このような研究に取り組むようになって、かれこれ40年が経つ。

40年前は、スポーツ選手の動作を分析するために撮影した動画(当時は16mmフィルムを用いて撮影していた)をプロジェクターを使って前方の磨りガラスにテープでとめたトレーシングペーパーに1コマずつ投影し、投影された選手の体の輪郭を鉛筆などでたどり、その描画から関節角度などを測って動作の分析を行っていた。ときには、1つの動作を分析するために数百枚の描画を分析することもあった。いまは、コンピュータを利用した簡単で即効性のある測定方法が開発され、作業が楽になった。

私が行っている一流選手の体力と技術の解明の研究は「後追い研究」だと考えている。一流のスポーツ選手が出現すると、その選手の体力や技術を解明する。別の一流選手が現れると、その選手を追いかけるように分析をはじめる。私の研究が先取りとなり、一流選手を育て上げたという例は、これまでにはない。あくまでも「後追い研究」なのである。

できれば、私の研究結果に基づいて選手を育成し、一流のレベルまで育て上げられたい、と夢見ることもあるが、はやり夢である。現実は、「後追い研究」なのである。

これからも「後追い研究」に徹して、一流選手の後を追いかけながら研究を続けていこうと思う。「後追い研究」の成果を蓄積し、選手育成に役立つ手がかりを提供できれば、それだけも私にとって満足できることである。

選手の弱点を克服させるのに満足するのはコーチ自身

 『弱みや、苦手を克服させることが「成長」だと信じ込んでいる指導者やコーチがいます。でもいいコーチは決してウサギに戦い方を教えたりしないものです。
 弱みや苦手を克服させて満足するのは、他のだれでもない、コーチ自身ということを知っているからです。
 コーチの仕事は、ウサギが望むところに出来るだけ速く、うまく行き着けるようにすることです。
 それもウサギの望む方法で。』
 (伊藤守 『もしもウサギにコーチがいたら』 大和書房 p.34)

 他人の弱みや欠点を見つけることは、簡単であることが多い。それに比べて、良い点を見つけることは、案外、むずかしい。そのために、コーチは選手の弱みや弱点を克服すさせようと躍起になる。弱みや弱点を選手自身が発見し、自発的に克服するのであれば、記録向上につながる。ところが、コーチから指摘された弱みや欠点を受動的に克服しようとする場合には、たいてい失敗に終わる。
 コーチが選手の良い面、得意な面、長所を発見し、さらに伸ばすように仕向けるとき、選手の向上につながることが多いような気がする。

 上に上げた伊藤の指摘は、素直に受け止めることができる。

2014年5月15日木曜日

例外が理想になる

同年齢の数多くの人たちの身長を測ったとしよう。数多くの人の身長は平均値のあたりに集中する。ところが、2.5%ほどの人は平均よりかなり背が高く、2.5%の人は平均よりかなり背が低い。平均の身長からかなりかけ離れた例外の人がいるのである。

同じことが、老化についても言える。たいていの人は年齢相応に年老いているが、中には年齢の割に極めて元気な老人が少数ではあるが存在する。こういう老人は例外なのである。

ところが、例外であるはずの老人がいつの間にか平均のように錯覚し、こういう並外れた老人を目指す人が多いような気がする。

例外を平均ととらえて、それに近づこうとすると、心身に無理な負担をかけることになる。多くの人は、並がいちばんと考えて、普通であることを目指すのが得策かもしれない。

1つの結果を得るための方法は多様

的に向かってボールを投げる運動を繰り返し行ったとしよう。

ボールは的の中心にほぼ当たったとしても、投げる動作は必ずしも同じであるとはいえない。言葉を代えれば、ボールが的に当たった位置はバラツキが小さいが、投球動作はバラツキが大きいということである。さらに言葉を代えれば、的の中心にボールを当てるという1つの結果を得るために、多様な動作が可能であるということである。

1つの結果を得るために同じ動作を繰り返すことができると”上手”だと判断される。しかし、”上手”と判断するもう1つの基準は、1つの結果を得るために動作を多様化できることがあると考えられる。

野球の内野手が捕球して一塁手にボールを正確に投げるとき、捕球位置は高かったり低かったりとさまざまであり、その時の捕球位置に応じた動作を選択するからこそ一塁手に正確にボールを投げることができるのである。投球動作の多様性が備わっていることが大事なのである。

人生においても似たことをたびたび経験する。ある仕事を完遂したいとき、そのための方法は多様である。その中から、その時に応じた方法を適切に選んだ時、期待した成果を得ることができる。

同じことを繰り返す能力も大事だが、臨機応変に対応できる自由度の大きい能力の方が役立つことが世の中には多いような気がする。

2014年5月13日火曜日

結果ではなく過程を学ぶ

大学で担当している科目に「スポーツ科学入門」がある。この科目の最大の目的は、1年生全員に、2年時以降に学ぶ専門科目の学習効果を高めるために、スポーツ科学全般の基礎知識を習得させることである。担当して4年になるが、まだ、教育内容や方法に迷いがある。学生たちに何を学習させるべきか、どのように授業を展開するのか、その答えが定まらないまま、授業を展開している。このままでは、学生への教育としては落第である。

けさ、早めに目が覚めたのをよいことに、枕元に置いていた『ぼくの思考の航海日誌』(東宏治 著、鳥影社、2012年初版第1刷)を読むことにした。さっそく、授業に対して思い悩んでいたことを解決するのに役立つ文章に出会った。

「一般向けの概説書を読んでよく思うことは、そうした解説よりも、科学者(発見者)自身の話や文章のほうがわかりやすいし面白いことだ。なぜなら、概説書は発見・発明・仮説など、いわば科学者たちのたどりついて「結果」を説明するが、科学者のほうは当事者として発見の経緯、研究のプロセスなどを話すことができるからだ。それは科学者がたどった筋道・順番であって、話としてこちらが論理的と言える。科学者は到達点からはじめたわけではないのだから。途中の経過を知らずに結論だけを理解するのは、とくに科学の場合、とてもむつかしい。いきなりビッグバンやクオークのことを想像するのは大変だ。素人は結論よりも、科学がなぜ、どんな疑問や観察・観測から、そういうことを思いつくのかを知りたく思うものなのだ。」(同掲書 p.191-192)

1年生は、スポーツ科学に対して素人である。東の述べるように、素人には結論よりも、その結論に至る過程をていねいに説明するのがよいのだろう。授業の内容を改めて検討しよう。

2014年5月12日月曜日

カモの親子

カモの親子

私が日ごろのウォーキングで利用しているコースの横には、水無瀬川と呼ばれる人工の川が流れている。この川には、コイ、カメ、カエルをはじめ、さまざまな生物が生息している。カワセミ、サギ、カモなどの鳥類も姿を見せる。

昨日の母の日、すばらしい光景にめぐり逢わせた。親ガモのうしろに子ガモが列をなしていたのである。子ガモは10羽いた。親子の邪魔をしないように気をつけながら、しばらく後を追った。この日は母の日。親ガモはきっと母親であったのだろう。


2014年5月10日土曜日

そしてその時になって私たちはサン=テグジュペリが、「愛というのは、互いに相手の顔を眺め合っていることなのではなくて(―これは一つの完璧な日の出がもう一つの完璧な日の出を眺めることに相当する。―)、同じ方向に二人で一緒に眼を向けることなのである」と言ったのが本当であることを理解する。妻も夫も、一緒に同じ方向を眺めているだけではなしに、外に向かって一緒に働き掛けているのであり(牡蠣が岩の上に次第に繁殖していく有様を見るといい)、そうすることで他の人間との繋がりもできるし、また社会にしっかり根を降ろすことになって(牡蠣を岩から剥がすのは大変な仕事である)、それで二人は本格的に人間の社会の一部をなすに至る。(アン・モロウ・リンドバーグ著、 吉田健一訳 『海からの贈物』 新潮文庫 2004年 p.80−81)

一人でいる時

我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いて来ないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない。(アン・モロウ・リンドバーグ著、 吉田健一訳 『海からの贈物』 新潮文庫 2004年 p.848−49)

女性と結婚

なぜ、女で聖者だった人たちが稀にしか結婚しなかったかを理解する。それは私が初め考えていたように、禁欲とか、子供とかいうこととは本質的に関係がなくて、何よりもこの気が散るということを避けるためだった。子供を生んで育て、食べさせて教育し、一軒の家を持つということが意味する無数のことに頭を使い、いろいろな人間と付き合って旨く舵を取るという、大概の女ならばすることが芸術家、思想家、或いは聖者の生活には適していない。(アン・モロウ・リンドバーグ著、 吉田健一訳 『海からの贈物』 新潮文庫 2004年 p.27)

中年

中年というのは、野心の貝殻や、各種の物質的な蓄積の貝殻や、自我の貝殻など、いろいろな貝殻を捨てる時期であるとも考えられる。この段階に達して、我々は浜辺での生活と同様に、我々の誇りや、見当違いの野心や、仮面や、甲冑を捨てることができるのではないだろうか。(アン・モロウ・リンドバーグ著、 吉田健一訳 『海からの贈物』 新潮文庫 2004年 p.84)

2014年5月5日月曜日

ただ歩けばいいという訳ではない

私の自宅の前には、道一つ隔ててウォーキングコースがある。このコースが、私にとっていちばん利用しやすいウォーキング空間である。自宅にいるときは、たいていこのコースでウォーキングしている。

私がウォーキングするときいちばん気遣っていることは、時間と歩き方である。

午前中のウォーキングは、散歩程度のスピードで、腕も足も大きく動かすことはない。まわりの風景などを楽しみながら、のんびり歩くようにしている。朝、とくに早朝に近い時間帯は、脳卒中や心筋梗塞などが起きやすい。こんなとき、心臓や血管に強い負担をかけてのウォーキングは危険である。

正午から夕方にかけてのウォーキングは、速足歩きをする。この時間帯は、身体にやや強い負荷をかけて運動するのに適しているからである。

そして、夜のウォーキングでは入眠をよくするために、体がぽかぽかするまで体を動かすようにしている。上昇した体温が下がりはじめるとき、入眠効果が高まるからである。

要するに、ただ歩くだけでは健康や体力づくりの効果はあまり期待できないのである。

運動する時間帯に合わせたウォーキング法や症状別のウォーキング法を紹介する私の著書が出版された。ウォーキングで健康づくりを考えている人、すでに実行している人、ウォーキング関連本を読むだけでウォーキングしているつもりになる人・・・ぜひご一読を。

湯浅景元 著
『スポーツ科学のプロが教える体の体調を改善するための症状別ウォーキング』
SBクリエイティブ
1,080円