2012年12月31日月曜日

スポーツ選手のけいれん

スポーツ科学(第1回)

スポーツ選手のけいれん


“けいれん”といえば、2007年に開催された大阪世界陸上で、日本選手を襲った「けいれんの連鎖」が思い出される。短距離走の末續慎吾選手、棒高跳びの澤野大地選手、走り高跳びの醍醐直幸選手がけいれんを起こし、満足に戦うことができなかったのである。

けいれんには。全身に起こる全身性けいれんと、体の一部の筋肉だけに起こる局所性けいれんがある。澤野選手は全身性けいれん、末續選手と醍醐選手は局所性けいれんだった。

筋肉が急激に縮み、自分の意志では筋肉の緊張をほぐすことができない状態のことを”けいれん“という。けいれんが起きると、体を思い通りに動かせなくなる。痛みをともなうこともある。

けいれんの原因はいくつかが考えられる。筋肉の疲労、体内の水分不足、体の冷え、カリウムやカルシむなどの栄養不足である。

けいれんを防ぐには、疲労回復、水分補給、体の保温、適切な栄養摂取を心がけることが必要である。

精神的ストレスもけいれんの原因となる。「勝たなければ」といったストレスが交感神経の働きを活発にさせ過ぎて、筋肉のけいれんを起こさせることもある。「なるようになれ」といった開き直った気持で試合に臨むことは、けいれん対策として勧められる。そんな気楽な試合などめったにないので、この方法は実用的ではないかもしれない。

2012年9月27日木曜日

仮説、因果関係、倫理

今日の本
『医学と仮説-原因と結果の科学を考える』
津田敏秀・著
岩波書店

私は科学研究(スポーツ科学の一分野)に携わっている。自分自身が研究することもあり、また学生(主に大学院生)たちに研究について指導することがある。

最近、研究倫理に関わるようになり、自分自身が深く反省するばかりである。

津田はこの本の中で、「そもそも、科学や因果関係に関して、医学を含む日本の自然科学研究者は、ほとんどトレーニングを受けず、科学哲学に触れたこともないようである。」と指摘している。少なくとも、私はこの指摘に当てはまる。

津田は、さらに「科学研究を成果を文章にした科学論文においては、仮説とその仮説を検証できる観察データが必要不可欠である。観察と並び、仮説、とりわけ検証可能で厳密な仮説を設定することの科学的研究における重要さは、強調しすぎることはない。」とも述べている。この指摘も、私にとっては身につまされることである。

偶然にこの本を知り購入した。”はじめに”の部分を読んだだけであるが、この本を通して私に欠けている科学者としての心得を新たな気持ちで学ぶことにする。

これまで指導してきた学生の諸君には、十分な指導を行うことができなかった。しかし、卒業あるいは修了した学生たちは津田が指摘していることを学び実践しているようである。

どうも私は“反面教師”としての役割を果たしてきたようだ。

2012年9月23日日曜日

貝原益軒に脱帽

今日の本

貝原益軒 『養生訓』
伊藤友信 訳
講談社 学術文庫

愛知県丹羽郡にある大口町の町制50周年記念講演会の講師に招いていただきました。この十年ほど、講演会でお話しさせていただく内容はほとんどが健康づくりです。今日の大口町での講演会も、ウォーキングを通しての健康づくりがテーマでした。

健康づくりといえば、最近、ふと貝原益軒の『養生訓』を読み直してみようという気持ちが起きました。さっそく『養生訓』を購入し、3日前から読み進めています。

441ページ中94ページを読み終わりました。5分の1読んだだけなのに、私が講演で話していることのほとんどが貝原益軒によって『養生訓』に書かれていることを知りました。

「正しく睡眠をとり、長時間眠ることや坐ることをさけて、ほどよく運動して・・・」と、運動の効用を説いています。「ことに食後はかならず数百歩の散歩がよい」とも勧めています。これらは、私が講演会で述べていることです。

「同じ所に長く安坐してはならぬ。」、「家にいるときには、自分の体力に適した労働をすることだ。立ったり坐ったりする動作をいとわず、部屋の中のことは下女・下男を使わないで、できるかぎり自分の体を動かすようにしなければならない。」と、日々、からだを小まめに動かすことが健康づくりのためにたいせつであることを述べています。これも、私が講演会で述べていることです。

「飲食物に出あうと、食べたいという心が強くなって食べすぎても気づかないのは、いわゆる一般の人々の習性である。」と人間の性質を述べ、食べ過ぎの危険性を警告しています。これまた、私が講演会で述べていることです。

『養生訓』を読み始めたと同時に、私が講演会で述べていることのほとんどがこの本に書かれているに気づき、反省しきりです。貝原益軒に脱帽!! 1713年に出版された『養生訓』が今まで読み継がれてきた理由が、分かる気がしてきました。

これからは、貝原益軒を見習い、科学的知識だけではなく、自らが経験し験証できたことを多くの人たちと共有情報として持ちたい。そして、できれば貝原益軒のように「民用の小補」に尽くしたい。そう感じるようになりました。

2012年9月8日土曜日

正座と日本人

今日の本
正座と日本人(丁宗鐵/正座と日本人/講談社/2009年)

日本人の特徴的な座り方といわれている「正座」について知りたくなり、購入したまま保管箱に納めてあったこの本を読むことにしました。

著者は医師であるが、歴史の造詣も深く、正座の医学的特徴だけではなく正座に関わる歴史についても興味深い内容が紹介されています。

江戸時代の医者が正座をして診療にあたっていた理由について初めて知りました。

江戸時代においては、役者、芸者、易者、医者など「者」のつく人はだいたい低い身分だったそうです。江戸時代の医者は自由開業制で「私は医者だ」と言えば、それで通ったんですね。試験もなく、誰でも医者になれたのです。江戸時代の医者は、身分階級から見ると、士農工商から外れた低い身分でした。だから、医者が診る患者は自分より身分が高い人なので、正座をして診療にあたったということだそうです。

私は、今朝から腰に痛みを感じているので、正座と腰の関係について述べられていることも目につきました。

「正座は座る姿勢の中で、最も背筋が伸びます。正座は椅子に座っているときよりも背筋が伸び、腰痛の人にはいちばん良い座り方です。」

腰の痛みを和らげようと、さっそく正座をしようと椅子から立ってハタと気づきました。膝や股関節が堅くて正座ができなかったのだった。残念!




2012年9月2日日曜日

手足を意識化におく

かげの独り言
~手足を意識化におく~

僕はヘビ類の動きに特に魅せられる。ヘビを見ると、僕らの手足や、鳥の翼、そして魚のひれなんか無用の長物に思えてくる。まるで自然の女神が気まぐれにそれらをくっつけたようだ。(ソロー語録/文遊社)

詩人、ナチュラリストなど多彩な顔を持つヘンリー・デイヴィッド・ソローは、こんな言葉を残しています。

確かに、体についている手足は自然の女神がきまぐれにくっつけたのかもしれません。そうであったとしても、手足がなければ日々の生活動作を行うとき不便を大いに感じることになります。

不幸にして手足の自由を奪われてしまった人たちがいます。自然の女神の気まぐれで、手足が未発達の人がいます。

自由に操れる手足を幸いに持ち合わせている人たちは、その幸運に感謝する意味から、日に一度は手足に意識を集中して扱うことをすべきだと感じました。

立派な手足があっても、それに意識を集中することなどめったにありません。ほとんどの場合、歩いているときのように、手足は無意識に動かされています。

ふだん意識化していない体の部分を、ときどき意識下におく。それは、高齢になっても体を自在に操るための準備だという気がします。

けがの功名

かげの独り言
~けがの功名~

私は、けがや病気をあえて引き起こそうなんて気持ちは、これっぽちもありません。しかし、けがをしたり病気になったときは、何か得した気分になることがあります。

6日前に、愛犬を抱きかかえてうしろ向きに足を踏み出したとき、ベッドの脚にかかとをひっかけて、尻から落ちてしまいました。痛みからして右側の坐骨の先端を傷めたようです。痛みは軽くなりましたが、体重を坐骨で受けて座ることは、まだできません。

こういう状態になっても、仕事やトイレで座る姿勢をとらなければならないことがあります。傷める以前のように座るわけにはいきません。痛めた坐骨に体重をかけないように、座る姿勢やクッションなどの利用方法をあれこれ工夫することになります。

「両足を横に広げて座ると楽だな」、「クッションを太ももの中央部にあてて座ると痛みを感じない」などと、これまで経験したことのない座り方を発見すると「怪我してよかったな」と思えてきます。

こういう経験を「けがの功名」というのでしょうか。

2012年8月23日木曜日

五感を研ぎ澄ます

かげの独り言
五感を研ぎ澄ます~


 暑さが厳しい夏の間、私のウォーキングタイムは午後8時過ぎになります。この時間帯だと、体をとりまく空気も足もとの地面も熱が下がり暑さが和らぎます。快適とまではいきませんが、不快をあまり感じないでウォーキングができます。
 さらに、この時間帯は車の騒音などがほとんどなくなり、自然が奏でる音を楽しむことができます。水の流れる音、虫の鳴き声、鳥のさえずりなど昼には聞くことができない心地よい音が耳を通して全身に伝わってきます。聴覚が研ぎ澄まされていくようです。
 ところでスポーツ会場の最近の異様な騒音は、何とかならないものでしょうか。集団で一斉に発せする掛け声、メガホンやスティックバルーンを打ちたたく音、とにかくスポーツ会場のほとんどは騒然としているのです。
 競技を戦っているアスリートたちの息づかい、床を蹴る音、ラケットでボールをたたく打撃音など、選手が作り出す音を楽しみたい私にはたいへん迷惑な騒音です。でも、スポーツの中には騒音とは無縁の静寂の中で戦うものもあります。たとえばパラリンピックの種目でもある「ゴールボール」です。
 ゴールボールは視覚障がい者が競い合う3人制の球技です。2つのチームが鈴の入ったボールを転がすように投球しあって、味方のゴールを守りながら相手のゴールにボールを入れ合うゲームです。試合中に頼りになるのは、鈴の音です。鈴の音からボールの位置や速さなどを察知してプレイするのです。だからゲーム中は静寂でないと困ります。だから試合は「クワイエット プリーズ!」(静かに!)と審判が宣言して始まるのです。
 ロンドンオリンピックでは、8月30日から9月7日の間にゴールボールの試合が行われます。テレビ放送があれば、ぜひご覧いただき、選手たちの研ぎ澄まされた聴覚を感じ取ってみるのはいかがでしょうか。