2013年5月12日日曜日

ケケロー 著 『老年について』


キケロー著 中務哲郎訳 『老年について』(岩波文庫)から私が抜粋した文章を記す。

▼  人は皆、老齢に達することを望むくせに、それが手に入るや非を鳴らす。(p.13
▼  何らかの終わりが必ずやなければならない。ちょうど木の実や大地の稔りが、時を経た成熟ののちに、萎れたりぽとりと落ちたりするように。(p.14)
▼  不平のない老年を送る人を沢山知っている。そういう人は欲望の鎖から解き放たれたことを喜びとし、身内の者から軽蔑されることもないのだ。全てその類いの不平は、性格の所為であって年齢の所為ではない。(p.15-16)
▼  愚者にとっては、山ほど財産があっても、老年は重いのだ。(p.16)
▼  老年を守るに最もふさわしい武器は、諸々の徳を身につけ実践することだ。(p.16)
▼  愚か者は己れの欠点や咎を老年の所為にするものだ。(p.21)
▼  肉体の力とか速さ、機敏さではなく、思慮・権威・見識で大事業はなしとげられる。老年はそれらを奪い取られないばかりか、いっそう増進するものなのである。(p.24)
▼  無謀は若い盛りの、深謀は老いゆく世代の、持ち前というわけだ。(p.26)
▼  熱意と勤勉が持続しさえすれば、老人にも知力はとどまる。(p.27)
▼  次の世代に役立つようにと木を植える。(p.29)
▼  毎日何かを学び加えつつ老いていく。(p.31)
▼  今、青年の体力が欲しいなどと思わないのは、ちょうど、若い時に牛や象の力が欲しいと思わなかったのと同じだ。在るものを使う、そして何をするにしても体力に応じて行うのがよいのだ。(p.32)
▼  体力の適度の使い方さえあれば、そして各人ができるだけのところで努めるならば、体力を欲しがりすぎることはあるまい。(p.36)
▼  人生の各部分にはそれぞれその時にふさわしい性質が与えられている。少年のひ弱さ、若者の覇気、早安定期にある者の重厚さ、老年期の円熟、いずれもその時に取り入れなければならない自然の恵みのようなものを持っているのだ。(p.37)
▼  老年には体力が欠けているか?いや、老年に体力は要求もされない。(p.38)
▼  健康に配慮すべきである。ほどよい運動を行い、飲食は体力を圧し潰すほどではなく、体力が回復されるだけを摂るべきである。(p.38-39)
▼  肉体は鍛錬して疲れが昂ずると重くなるが、心は鍛えるほど軽くなるのだ。(p.39)
▼  人生は知らぬ間に少しずつ老いていく。突如壊れるのではなく、長い時間をかけて消えて去っていくものである。(p.41)
▼  老年は宴会や山盛りの食卓や盃責めとは無縁だが、だからこそ酩酊や消化不良や不眠とも無縁なのだ。(p.44)
▼  老年は破目をはずした宴会には縁がなくとも、節度ある酒席を楽しむことはできるのだ。(p.44)
▼  老年にとって、いわば肉欲や野望や争いや敵意やあらゆる欲望への服役期間が満了して、心が自足している、いわゆる心が自分自身と共に生きる、というのは何と価値あることか。(p.49)
▼  研究や学問という糧のようなものが幾らかでもあれば、暇のある老年ほど喜ばしいものはないのだ。(p.50)
▼  青年期の基礎の上に打ち建てられた老年だ。(p.61
▼  青年が死ぬのはさかんな炎が多量の水で鎮められるようなもの、一方老人が死ぬのは、燃え尽きた火が何の力を加えずともひとりでに消えていくようなもの、と思えるのだ。(p.66)
▼  果物でも、未熟だと力ずくで木から捥ぎ離されるが、よく熟れていれば自ら落ちるように、命もまた、青年からは力ずくで奪われ、老人からは成熟の結果として取り去られるのだ。(p.66)
▼  何にせよ接ぎ合わされたものを引き剥がすのは、作りたてほど難しく、古くなるほどたやすいもの。(p.67-68)
▼  死をものともせぬよう若い時から練習しておかなければならない。(p.69)
▼  眠りほど死に似たるものがない。(p.74)
▼  賢い人ほど平静な心で、愚かな者ほど落ち着かぬ心で死んでいく事実を、どう説明するか。(p.83)
▼  仮りに、われわれは不死なるものになれそうにないとしても、やはり人間はそれぞれふさわしい時に消え去るのが望ましい。自然は他のあらゆるものと同様、生きるということについても限度を持っているのだから。因みに、人生における老年は芝居における終幕のようなもの。そこでへとへとになることは避けなければならない、とりわけ十分に味わい尽くした後ではな。(p.78)

フィギュアスケート選手と目


フィギュアスケートの無良崇人選手が、私の研究室の勉強会に参加したとき、「空中で回転しているときの顔の写真だけは雑誌に載せてほしくない」と教えてくれたことがあった。

無良選手が嫌がっていたのは回転中の目である。空中で回転しているとき、両方の黒目は回転方向側の目尻に寄っている。無良君が嫌がる気持ちがよくわかる。しかし、回転中に回転側に目を寄せるのは、回転後に目を回さないためである。

高速で回転している人の目玉は、左右にブルブルと振動している。これを“眼振”という。回転が終わっても“眼振“はすぐにおさまらず、しばらく眼振が続ける。この間に「目が回る」と感じ、バランスが乱れてしっかり立つことができなくなるのである。

無良選手が4回転ジャンプのあとバランスよく着氷して次の演技につなげるためには、着氷後に眼振を起こさないようにすればよい。そのためには、回転中に目を回転側の目尻に寄せるのである。

空中で回転している体より早く眼球を回転方向に向ければ、回転中や回転後の眼振が少なくなり安定した着氷ができる。

回転ジャンプの成功の鍵は目の動きにある、とも言えるかもしれない。

2013年5月10日金曜日

遠心力とスポーツ


かつて出演したNHKの番組で、元レーシングドライバーの中嶋悟さんから「両ひざの外側がこぶのように膨らんでいる」と教えていただいた。高速度で曲線路を走るとき大きな遠心力に負けないように、両ひざでコックピットの内側を強く押して体を安定させているためにこぶができる、ということであった。

レーシングだけではなく、多くのスポーツでも、回転する選手の体には遠心力が加わる。いったいどれほどの遠心力が選手の体に働いているのだろう。

遠心力の大きさは、((速度の二乗)×(重量))÷(回転半径)で求められる。この式で計算すれば、スポーツ選手の体に働く遠心力の大きさをおおよそ推定できる。

ハンマー投げ。室伏広治選手が重さ7.26キロのハンマーを80メートル投げる瞬間のハンマーの初速度は秒速32メートル、回転半径は2メートルである。したがって、遠心力=(32×32×7.26)÷2=3717ニュートンとなる。ニュートンは力の単位であるが、一般にはなじみがない。1ニュートンは0.1キロであるから、3717ニュートンは、371.7キロとなる。7.26キロのハンマーは、遠心力によって50倍の重さになるのだ。

引退した松井秀喜選手は、990グラムのバットを時速158キロ(秒速44メートル)で振っていた。回転半径は1.4メートである。フルスイングしている松井選手の体には、137キロの遠心力が働いていた。

タイガーウッズ選手が350グラムのクラブをフルスイングするとき、ヘッドスピードは秒速60メートル、回転半径は2.1メートルである。彼の体には、60キロの遠心力が加わっている。

ここに示した遠心力は大ざっぱな推定値であるが、回転するスポーツ選手の体に大きな遠心力が働いていることは間違いなさそうである。

胸を張る


野球の投手がボールを投げるとき、胸を大きくそらす姿勢をとる。テニス選手がサーブを打つときも、上半身をうしろにのけぞるように胸をそらす。

投球でもサーブでも、ボールに速度を与えるものの1つは腕の動きである。腕の移動距離が短いと大きなボール速度を生み出すことはできない。ボール速度を速くするには、腕の移動距離を長くすることが必要となる。

腕の移動距離を決定する要因の1つは、肩関節の可動域である。肩関節の可動域が広いほど腕の移動距離は長くなり、ボール速度を速くすることが可能となる。

胸をそらす動作は、肩関節の可動域に影響を及ぼす。胸をそらすと、肩関節の可動域は広くなる。背を丸めると、肩関節の可動域は狭くなる。

投手やテニス選手たちが投球やサーブのときに胸を張るのは、肩関節の可動域を広くして腕の移動距離を長くし、その結果としてボール速度を速くするのである。

ボール速度を速くさせるために腕の振りだけに注目するのではなく、腕の振りに影響している上体のそりにも注目するのがよい。ある部分の動きは別の部分の動きに影響されているのである。

2013年5月9日木曜日

筋力トレーニングの強度


筋力を強くするためには、ある程度以上の強度を筋肉に加えながら運動させることが必要である。強度が低いと筋力向上の効果は現れない。このトレーニング基本を理解していないと、筋力を高めることはできない。

私が学生だった1960〜1970年代の頃には、筋力向上のために必要な強度が十分に理解されていなかったために、今から考えると効果があまり期待できないトレーニングを行っていた。たとえば、腕力を強くするために行っていた筋トレは「腕立て伏せ」を10回、20回と繰り返すものである。繰り返すことができる回数が増えるほど、筋力が強くなったと判断していた。

ところが反復する回数が多いほど、筋力を高める効果は小さくなる。
腕立て伏せが8回以上繰り返すことができるときは、自分の体重が筋力を高められる強度よりも低いために、筋力は向上しない。

ダンベルやバーベルを利用して筋力を高めるときには、反復できる回数が6回より少なくなるような重量を利用する。反復回数が6回より多くなったら、強度を高めるようにすれば、筋力を高めていくことができる。

2013年5月6日月曜日

運動頻度と糖尿病


Manson Jeらは、運動頻度と糖尿病相対危険度の関係を報告している(JAMA,1992)。アメリカ人内科医(男性)およそ21,000名を対象に、週あたりの運動頻度が糖尿病に罹患する相対危険度の関係を調べた研究である。

その結果をまとめると、次のようになる。
運動頻度
糖尿病に罹患する相対危険度
運動なし
週1回
0.77
2〜3回
0.62
週5回以上
0.58

運動なしに比べると、週1回の人は23%、週2〜3回の人は38%、週5回以上の人は42%、糖尿病にかかる危険度が低くなることが明らかにされた。

この調査結果から、運動は週1回でも糖尿病にかかる危険度を低下させる効果のあることがわかる。週1回なら、多くの人が実行可能な頻度だといえる。「運動は毎日しなければ」とプレッシャをかけすぎないで、「週1回でもOK」と気楽に運動に取り組んでみるだけでも健康維持に役立ちそうである。

この調査結果の大事なことがもう1つある。それは、どんなに運動頻度を増やしても糖尿病にかかる危険度をゼロにすることはできない、ということである。運動への過剰期待はしないのがよさそうだ。